2007年10月
2007年10月29日
無言館・・・長野上田
COOPの学習会で「無言館」へ行く機会が・・・
なだらかな丘の上、林に囲まれたところにコンクリート打ちっ放しの美術館は建ってました。
無言館は美術学校生、あるいは独学で美術を学んでいたが、若くして戦没した画学生の遺作遺品を集めた美術館です。
土地は上田市が提供して、建物はこれに賛同する人々の寄付で建てられたそうです。
全国からたくさんの絵が集まり、展示しきれなくなって、現在第二館を建設中でした。
展示されていた絵のほとんどの作者は20歳代で戦死、妹さんや婚約者を描かれたもの、故郷の風景など・・・絵には戦争の悲惨さはなく平和を感じとれました。それがかえって胸にじーんと響くものがありました。
無言館をあとにして、北國街道、海野宿へ向かいました。
宿場町の古い館で手打ちの二八蕎麦とくるみ餡子のおはぎの昼食を頂き、時間まで宿場町の散策を楽しみました。
卯建(うだつ)・・本来は防火壁の役割だが、装飾を凝らしたものは富裕の家でなければ出来るものではありません。このようなところから「うだつがあがらぬ」という言葉も生まれた。
宿場の近くには千曲川の流れ・・・昔にタイムスリップしたような気持ちになれました。
なだらかな丘の上、林に囲まれたところにコンクリート打ちっ放しの美術館は建ってました。
無言館は美術学校生、あるいは独学で美術を学んでいたが、若くして戦没した画学生の遺作遺品を集めた美術館です。
土地は上田市が提供して、建物はこれに賛同する人々の寄付で建てられたそうです。
全国からたくさんの絵が集まり、展示しきれなくなって、現在第二館を建設中でした。
展示されていた絵のほとんどの作者は20歳代で戦死、妹さんや婚約者を描かれたもの、故郷の風景など・・・絵には戦争の悲惨さはなく平和を感じとれました。それがかえって胸にじーんと響くものがありました。
無言館をあとにして、北國街道、海野宿へ向かいました。
宿場町の古い館で手打ちの二八蕎麦とくるみ餡子のおはぎの昼食を頂き、時間まで宿場町の散策を楽しみました。
卯建(うだつ)・・本来は防火壁の役割だが、装飾を凝らしたものは富裕の家でなければ出来るものではありません。このようなところから「うだつがあがらぬ」という言葉も生まれた。
宿場の近くには千曲川の流れ・・・昔にタイムスリップしたような気持ちになれました。